先日、メルセデスベンツの『GLA』に試乗した。ドアを開けると長いシートベルトのバックルが視界に入った。メルセデス、お前もデブの声に屈したのか!
もしも私が、心疾患や脳疾患のDNAを持っていたとしたら、運転中に突然死する可能性が高いということだ。これはDNA検査だ! 知らないでロシアンルーレット的に生活を続けるより、知って対策だ!
乗用車の遮音性はこの20年で、どのくらい変わったのか。ホンダに聞いてみた。『フィット』の場合、2001年の初代と2020年の現行モデルで、約4分の3。『アコード』は、1997年の6代目と2020年の現行モデルで、約2分の1。
体調の変化を素早く感知できる心電図計や、新型コロナウイルスを不活性化するオゾン発生器。車内にいる人を安全に保つための機器が、クルマに標準装備されたら安心である。これこそ、クルマのニューノーマルなのでは?
目の前で大切な家族が脳死状態になっているときに、まともに思考能力が働く人などいない。ましてや、何日も時間をかけて考えるような余裕もない。当たり前だが、脳死状態の本人にどうしたいかと確認することは不可能だ。
交通事故で病院に運ばれたとき、もし自分に既往症があって、なにかしらの薬を飲んでいるのなら、すぐに医師に伝えなければ。でも、意識不明の状態で、どうすればいいの?
正直なところ自転車のルールをきちんと教わったことがない。「小学校のときにやりましたよね?」って言われても、あなた、私をいくつだと思っているのよ。半世紀もたって覚えているわけがないでしょう=開き直り。
118番をかけてつながる先。それは、海上保安庁である。そう、海の事故ではあの海猿が助けにきてくれるのである!
やっぱり移動だ。移動は幸せになるために、必要なのである。いくらテレワークだ、リモート会議だ、便利だ、合理的だ、活用せよ!といわれても、人は移動で楽しく豊かな人生を送れる。研究結果は、それを証明してくれたのである!
非常事態宣言中の生活で痛烈に身に染みたのは、人が動けなくなると物が動くしかないということだ。ステイホームでケーキが買いに行けないのなら、ケーキに来てもらうしかない。
ニースの空港からはタクシーで海岸沿いのホテルに到着し、二階にあるロビーまでエスカレータで上がっていく。チェックインをすませ、部屋に向かうべく荷物を持ったとき、私の顔から血の気がひいた。
しかし、人間には警戒心のゆるむ瞬間というものがある。そう。なぜあのとき私は、見ず知らずのイタリア男が運転するクルマに乗り込んでしまったのか……。
アウトストラーダをのんびりと走行していると、一台のクルマが私の後ろにぴったりとついた。速度を上げる。ついてくる。車線を変える。ついてくる。間違いない。私にロックオンしている。どうしよう?
イタリアの電車。これが噂にたがわぬとんでもない曲者だった。走ってくれればまだよくて、たまに30分前になってキャンセルと表示され度肝を抜かれることも一度や二度ではない。
新型コロナのニュースだらけで頭も心も疲弊しつつある今、小難しいコラムを書く気がしないので、今回は私が2年間過ごしたイタリア生活の回顧録をお届けしたい。名付けて「やっぱりイタリア人ってクルマ好き!」。コロナの状況に応じての不定期連載である。